さすがに1週間経ったから書けるかな。
とっても個人的な想いだけど、そのままでいるのは難しくて。
恩師への想いを言わせてください。
すぐ消すかもしれませんが。
2012年2月29日 金沢のLive House 「vanvan V4」の社長 若狭 剛氏が永眠しました。
今の僕がいる恩師であり、金沢という街の音楽シーンを創ってきたオヤジです。
最初はいついっても居ない胡散臭さ満載の楽器屋さんの店長、
オレ達のバンドをTEENS' MUSIC FESTIVALというコンテストの全国大会にまで育てあげてくれたり、
「BIIR」というユニットをオレに与えてデビューまで導いてくれた男、
金のなかった時代に仕事を作ってくれて活動できるようにバイトくれたりもしたし、
高校生のオレが一度音楽を離れようとしてた時に、結果的に引き戻したりもした。
オレが車で事故った時には警察署までついてきてくれたり、
ロスに行くと言ったら、ワシも行くと行って無理矢理ついてきたりもした。
こっちが電話しても出ないのに、自分が連絡したいときは着信履歴を埋め尽くしたりもした。
今だから言えるけどレコスタ、リハスタを自由に使わせてくれたりもした。
時には叱り、時には賞賛し、時には馬鹿騒ぎしてオレの青春時代と呼べる瞬間はそこにありました。
そして今オレが音楽で生きていられるのは間違いなくあなたの存在がデカイよ。
10年程前、個人的な事で衝突したままだったんだけけど、
わかっさん、
オレ、最初からあんたに認められるようになって行こうって思ってたんよ。
「だら、えーじ、はえーわいw」って言うやろうな。
そうや、だからあんたも早すぎやって。
53歳。
そんなん早すぎて何も言えんって。
オレも頑固モンや。貫いただけや。近くで見てきたわかっさんの想いを。
ホント特殊な間柄だったしね。
でも、あんたにとっては反逆児やったかもしれんけど、
オレはわかっさんの意志は継いだミュージシャンだよ。
誰にもこんな想い言ったことないけど、こんなカタチで言わなきゃいけなくなったのが
残念でなりません。
とにかく自分の感情がルールな身勝手なオヤジでした。
最後の最後まで。
もう文句も愚痴も感謝も何も言えないけど、
いっぱいありがとう。
お疲れ様でした。
わかっさんの意志はいろんなところで生きとるからね。